「日勤からの深夜入り」がきつすぎて転職した看護師の話
どうも菊子です。
看護師といえば夜勤。
でも夜勤はとても辛く、
とくに日勤からの深夜入りは地獄です。
私は夜勤が理由で転職をした人間。
でもその背景には、大変な事件もあり・・・。
今回はその転職劇を語ってみたいと思います。
辛い夜勤時代
私は高校卒業後に上京して看護師になり、そのまま東京近郊で働いてきました。勤務は3交代。
夜勤がとても辛かった・・・。
夜勤中にウルっと泣いてしまったことも(若いw)
でもリズムを掴んでからは何とかやっていけるように。
ただ病棟が変わればルールも変わるもので、3年目に異動してからはまた夜勤が辛くなったのです。
そう。
日勤から深夜入りが始まったのです・・・。
日勤を終えて帰宅し、食事と入浴を済ませすぐに就寝。
2時間後に起きて23時に出勤。
日勤で残業があれば、睡眠無しで夜勤に入ることも。
夜勤中の仮眠は1時間あり、それだけが救いだったのですが、忙しい夜は取れないこともあるのです。
夜勤明けはグッタリ。
家に帰って寝て、何度か起きるも、気が付いたら翌日の朝で、すぐに出勤という生活でした。
あっという間に4日くらい経っていてびっくりします。
運よく夜勤明けが休日でも、体がだるくダラダラ過ごす日々・・・。
「何のために生きているのだろう」と本気で考えていました。
そんな時期に、母から切迫した電話がかかってきたのです。
父危篤
私の実家は、北海道のド田舎にあります。実家には父と母、年の離れた中学生の弟が暮らしています。
父は小さな食品工場で働き、母は農協でパート。
家族の仲はふつうに良好。
父は無口でおとなしい人。
まじめな人でもあり、25年間ずっと工場で働いていました。
このまま変わらない生活ずっと続いてく、そう思っていた時に事件は起きました。
「海に落ちた」
父は突然、そう言って母に電話をかけたそうです。
母は急いで港に行くと、ずぶ濡れで立っている父がいたそうな。
うまく会話ができず明らかにおかしい。
パニックになった母は私に電話。
「おとんが!おとんが!」
私はその異変を感じ、すぐに119番するよう言った。
母は119番し、父は救急搬送された。
海の様子を見に行って落ちたとのことだが、真相は分からない。
父の記憶はかなり曖昧だった。
父は検査のため、札幌の総合病院に移った。
事故から1週間後、私はようやく父に会いに行けた。
父は集中治療室に入っていた。
2日後に一般病棟に移れたが、ボーっとしていることが多く、1ヵ月かかりようやく退院できた。
診断は「蓄積された疲労によるうつ病」とのことだった。
原因は工場での夜勤だろう。
25年の間に少しずつ心と体がおかしくなっていた。
父は仕事を辞めた。
仕事を探しながら、失業保険で暮らすようになった。
テレビを見たり、犬の散歩に行ったり、海を見に行ったり。
再就職は難しいと言っていた。
でも親戚からは「なぜ働かないのだ」と急かされていた。
私はゆっくりしたらいいと思った。
20年以上ずっと頑張ってきたのだから。
ただ私が一度帰省したとき、父は昼間からスマホゲームをしていた。
そんな父の姿を見るのは流石に辛かった。
父が散歩に行った隙に、部屋にあった求人票の束を見た。
求人は100枚近くある。
こんな田舎でも仕事は沢山あるじゃないか。
仕事はすぐに決まりそうだ。
そう思った。
でもそれは甘かった。
土木、トラック配送、農業、交通整理、介護ばかり。
100枚も求人票があるのに選択肢は少ない。
土木、トラック配送、農業は力仕事。
父は50歳を超えており、しかも未経験。
難しいだろう。
交通整理は寒さとの闘い。
北海道では命がけである。
病み上がりの父には難しいだろう。
唯一出来そうなのは介護。
しかし父は無口かつ、介護は未経験。
しかもパート求人ばかり。
どの仕事を選んでも、父は辛い思いをする。
私は実家に戻ることを決意した。
田舎の転職活動
私は東京で働きながら地元の仕事を探した。転職サイトに登録して探してもらった。
総合病院、クリニック、美容外科、健診センター、保健師など色々あった。
看護師は田舎でも仕事がある。
でも一番のネックは通期だった。
どの病院も片道で2時間以上かかる。
雪が降れば3時間以上かかるだろう。
車で30分圏内の病院は2件しかない。
ただその2件とも求人は出していない。
しかし見かねた転職サイトのスタッフさんが、その2件にアポを取って交渉してくれた。
そして運よく実家から15分の病院に転職が決まった。
(転職サイトのスタッフさんには色々と迷惑を掛けてしまった。感謝しかない)
看護師が高給取りになる現実
私は実家に戻った。家には毎月お金を入れている。
父は介護の仕事を選んだ。
パートのフルタイム採用で手取り9万円ほど。
正直、給料はかなり低い。
でも父だけが低いわけでない。
同級生と飲んだ時、彼女たちの現状を聞かされた。
とにかく仕事がない、あっても月収10万円以下、しかもアルバイト。
だからみんな東京に行く。けど職歴が無ければやっぱりアルバイト。
結局、みんな戻ってきてプラプラしている。
正社員で働いている子もいたけど年収は200万円に届かないらしい。
女だけではなく、男も同じ。
ここで結婚できるのは公務員くらい。
そう言われている。
確かにキレイな家を建て、ピカピカの新車に乗るのは公務員の世帯ばかり。
田舎では公務員は妬みの対象だ。
「税金泥棒」と陰口を叩かれる。
でも公務員だからといって、そんなに貰っているわけではない。
手取り月25万円とか、そんな感じ。
でも田舎ではそれが高給取りになる。
私も夜勤無しで手取り24万円ほど。
こっちでは高給取りに入る。
同じ病院で夜勤をやっている子は月35万円を超えている。
彼女はたぶんこの町でトップクラスの高額納税者だ。
看護師は恵まれているのか?
一般職の人達は、とても不利な状況にある。「辞めたら給料が下がる」
「次の仕事がない」
これは田舎に限らず、全国的にそうだと思う(とくに田舎は酷い)
だからどんなに仕事が辛くても辞められない。
辞めたら地獄。
将来の見通しが立たなくなる。
それに比べて看護師は恵まれている。
日本全国どこにでも仕事があるし、給料は安定しているし、将来仕事に困ることもない。
しかし、なぜか看護師も悩む。
将来が不安で辞められない。
でも私は転職してみて思った。
「不安はただの想像でしかなかった」
私は看護師免許の強さを知った。
どんな田舎にでも仕事があり、好待遇で迎えてもらえる。
経済的な安定は、家族を助けることにもなった。
それと同時に恵まれた職業だと思った。
夜勤が辛いときは
看護師に夜勤はつきものだ。とくに若い頃は、経験を積める職場で働くために、夜勤が必須になる。
でも転職して感じたのは「いつまでも夜勤に縛られている必要はない」という現実だ。
夜勤なしでも働く場はあるし、経験も十分な積めるし、将来仕事が無くなることもないし、お給料もそこそこ貰えている。
私は「家族のための転職」という大義名分はあったが、本心には「夜勤をやめたい」という思いも強かった。
夜勤をやめてからは、体が想像以上に楽になったし、「何のために生きているのだろう」と病むこともなくなり、仕事が楽しいと思えるようにもなった。
夜勤は長く続けるものじゃない。
父は夜勤に耐え続け、心も体もおかしくなった。
今は働けてはいるが、問いかけに返事もせずボーっとすることが多々あり、やはりどこかおかしい。
誰かが「夜勤は寿命を縮める」と言っていたが、その通りだと思った。
父は、どんなに辛くても工場を辞めなかった。
次が無いのを知っていたから。
でも看護師は職場を選べる。
看護師ならば、そのメリットをもっと生かすべきだったと思った。
看護師は、社会的にとても強い職業なのだから。
追記(2019年2月)
Twitterで「どこの転職サイトを使ったのですか?」というダイレクトメールを頂いた。ご本人には回答したが、他にも知りたい方がいるかもしれないため、ここに書き記しておく。
私は「「看護roo!」」というサイトで転職した。
「看護roo!」は総合型の転職サイトで、スマホでの求人検索だけではなく、希望するとスタッフさんが担当に付いてくれ、転職活動を手伝ってもくれる。
その手伝いは多岐にわたる。
求人探し、年収診断、病院の情報収集、スケジュール調整、給料交渉、面接対策など。
私を担当してくれたスタッフさんは、電話でのやり取りだったが、気さくな感じでとても親切な女性だった。
そういえば今の病院の人事担当(院長夫人)に「私が入った時、募集してなかったのに大丈夫でした?」と聞いたことがある。
「正直、人は足りていたよw」「けど「看護roo!」さんは大手だから。付き合いもあるし」と言っていた。
「看護roo!」は日本で1,2を争う看護師専門の大手転職サイトらしい。
だからなのか、そういった交渉事には強いようだ。
まあ大人の事情はさておき、色々なサイトに登録してみて、一番親切だったのは「看護roo!」で間違いない。
求人も沢山あり、情報量も多く「あの病院こんなに給料高いのか…」という情報も見れた。
気になる人は登録してみてほしい。
では。
▶「看護roo!」の公式サイトへ